目次
◆ パレスチナ問題は「イスラエル vs パレスチナ」だけではない
ニュースを見ると、
- 「イスラエル vs ハマス」
- 「ガザで戦闘」
- 「西岸で衝突」
といった2者対立のように見えることが多いです。
しかし実際はもっと複雑で、パレスチナ人の内部にも深い対立があるのです。
その中心にあるのが、
- PLO(パレスチナ解放機構)
- ハマス(イスラム抵抗運動)
という2つの主要勢力です。
まずは、「PLO」がどのように誕生したのかから見ていきましょう。
🌍 1. PLO(パレスチナ解放機構)の誕生:国を失った人々の“代表”として
1948年のナクバ(パレスチナ大追放)により、パレスチナ人の約70万人が故郷を失い、周辺諸国に難民として暮らすことになりました。
しかし、
- 自分たちの国がない
- 自分たちの代表もいない
- 土地も奪われた
- 帰還も許されない
という状態が続きました。
そこで1964年、アラブ諸国の後押しもあり、
PLO(パレスチナ解放機構)が結成されます。
PLOの目的は明確でした。
「武力を含むあらゆる手段でパレスチナを解放する」
つまり、
- パレスチナ国家の樹立
- 故郷への帰還
- イスラエルに奪われた土地の解放
を掲げる組織として誕生したのです。
🔫 2. ファタハとアラファト:武装闘争の中心へ
PLO内部にはいくつかの組織がありましたが、その中で最も影響力を持ったのが、
- ファタハ(Fatah)
そして、そのリーダーが、
- ヤーセル・アラファト(のちのPLO議長)
アラファトは中東全体で「パレスチナの象徴」として知られる人物です。
◆ ファタハの主張
- 武装闘争による解放
- パレスチナ国家の樹立
- イスラエルへの攻撃も選択肢とする姿勢
1960〜70年代、ファタハを中心としたPLOは、イスラエルと激しい武力衝突を繰り返し、世界から「ゲリラ組織」として注目されるようになりました。
🗺 3. ヨルダンからレバノンへ:PLOの拠点移動
PLOは最初、ヨルダンを拠点として活動していましたが、しだいにヨルダン国内での衝突が増え、
1970年「黒い九月」事件でヨルダンから追放されます。
その後、PLOは拠点をレバノンへ移しましたが、そこでも、
- レバノン内戦
- イスラエル軍の侵攻
- さまざまな民兵組織との対立
が重なり、PLOは安定した活動拠点を持つことが難しい状況に置かれ続けました。
🤝 4. PLOの方針転換:「武装」から「外交」へ
1980年代になると、PLO内部では、
「武装闘争だけではパレスチナ国家は実現しない」
という考え方が強まり、しだいに外交路線へと舵を切っていきます。
そして1988年、PLOは歴史的な転換を行います。
- イスラエルの存在を事実上認める
- 二国家共存(イスラエルとパレスチナが並び立つ形)を受け入れる
これにより、
- 1993年のオスロ合意
- ガザ・西岸の一部を統治するパレスチナ自治政府の発足
へとつながっていきます。
しかし、この「妥協」をよしとしない勢力がいました。それがハマスです。
⚠ 5. PLOの「妥協」に不満を持つ勢力の台頭:ハマスの登場
PLOが外交路線へと傾き、「イスラエルと交渉する」姿勢を見せるようになると、
- 「それでは甘すぎる」
- 「占領は続いたままだ」
- 「イスラエルを認めるのは屈服だ」
という反発がパレスチナ内部で起こり始めます。
こうした不満や怒りが集まった先が、のちにハマスとなる勢力です。
🔥 6. ハマス(イスラム抵抗運動)とは? ガザから生まれた“もうひとつの勢力”
ハマスは1987年、第一次インティファーダ(占領への民衆蜂起)が始まったタイミングでガザを中心に誕生しました。
◆ ハマスのルーツ
ハマスは、エジプトを発祥とする「ムスリム同胞団」というイスラム系の社会運動から派生した組織です。
◆ ハマスが支持を集めた理由
- ガザの貧困層に食料・福祉・医療などの支援活動を行った
- イスラエル占領への断固とした抵抗を掲げた
- PLOの汚職や権力争いを厳しく批判した
こうして、
「イスラム的価値観 × 抵抗の象徴」
として、ハマスは特にガザの人々から強い支持を集めるようになりました。
📌 7. ハマスの主張(PLOとの違い)
PLO(特にファタハ)とハマスの違いを、表で整理してみましょう。
| 立場 | PLO(ファタハ中心) | ハマス |
|---|---|---|
| 目標 | パレスチナ国家の樹立 | イスラームに基づく国家の樹立 |
| 戦略 | 武装+外交(イスラエルを事実上承認) | 武装闘争(イスラエルを国家として認めない) |
| 拠点 | 主にヨルダン川西岸 | 主にガザ地区 |
| 支持層 | 比較的世俗的な層 | 宗教色の強い層・貧困層 |
最大の違いは、
ハマスは「イスラエルを国家として認めない」という立場をとっている
という点です。
この考え方の違いが、PLOとの深刻な対立を生みます。
⚡ 8. 2006年:選挙でハマスが勝利し“パレスチナ内部の分裂”が決定的に
2006年、パレスチナ自治政府で総選挙が行われました。
多くの人は「PLO(ファタハ)が勝つだろう」と予想していましたが、結果は、
👉 ハマスの勝利
でした。
これにより、
- ガザ地区:ハマスが実効支配
- ヨルダン川西岸:PLO(ファタハ)が中心の自治政府が統治
という状態になり、
パレスチナ内部の対立(分裂)が決定的に深まります。
🔥 9. ガザ vs 西岸:なぜ“同じパレスチナ人”が争うのか?
同じパレスチナ人なのに、なぜ内部対立が起きるのでしょうか? 主な理由は次の3つです。
❶ 価値観・理念の違い
- PLO:世俗的(宗教色が薄い)、外交・交渉を重視
- ハマス:イスラム的価値観が強く、武装抵抗を重視
❷ イスラエルとの向き合い方の違い
- PLO:イスラエルを事実上認め、「二国家共存」という解決策を支持
- ハマス:イスラエルを認めず、「占領に抵抗する」という立場を維持
❸ 支配地域の違い
- ガザ:ハマスが政治・軍事を握る
- 西岸:PLO(ファタハ)系の自治政府が行政を担う
このような違いが重なり、
👉 「イスラエル vs パレスチナ」だけでなく、「パレスチナ内の PLO vs ハマス」という対立構造が生まれてしまった
のです。
🧩 10. “イスラエル vs パレスチナ”の裏にある「三つ巴」の構図
現代の構図は、単純な2者対立ではなく、次の三つ巴になっています。
- 🟥 イスラエル
- 🟦 西岸のパレスチナ自治政府(PLO / ファタハ)
- 🟩 ガザのハマス
この三者の利害や立場が異なることで、
- 和平交渉が進みにくい
- 一方と話が進んでも、もう一方が反発する
といった状況が生まれ、パレスチナ問題は一層複雑になっています。
📘 第6話まとめ
- パレスチナ問題は「イスラエル vs パレスチナ」だけでなく、パレスチナ内部の対立も重要なポイント
- PLOは1964年に結成され、のちに外交路線・二国家共存へと方針転換した
- ハマスは1987年、ガザで誕生し、イスラム的価値観と武装抵抗を掲げて急成長した
- 2006年の選挙でハマスが勝利し、ガザ=ハマス、西岸=PLOという分裂構造が固定化
- この内部対立が、パレスチナ問題の解決をさらに難しくしている
🕊 次回(第7話)は…
「インティファーダとガザ封鎖 〜占領下の生活から生まれた2つの“民衆の叫び”〜」
第7話では、
- 第一次インティファーダ(1987)
- 第二次インティファーダ(2000)
- 自爆攻撃が生まれた背景
- ガザ封鎖が始まった理由
- 占領下でのパレスチナ人の日常生活
などを、“現場の目線”に近い形で、中学生でも理解できるように解説していきます。